1988年のジロリン(10)
・1988年8月2日 西安→烏魯木斉
初めての中国寝台*1。やっとかえてくれました。一緒の中国人はかえてもらえませんでした*2。外国人だからというえこひいきで、ちょっとうしろめたかった。けれども僕らは彼らの2倍金を払ってるってことで許してほしい*3。2倍くらいじゃぜんぜん足りないですけどね。申し訳ない。こんな経験をしても別に悲しくはない。中国に慣れてきたせいだろうか。いいことだ。センチメンタルは徳ではない。ここでは。いや、ここでも。
下雨了*4。外は雨だ。列車からみえた景色は、なんかこう圧巻だった。中国の匂いは弱く、アルプスの少女ハイジが遊んでいそうな、といったらいいすぎか、そこまでのさわやかさはないわ。ゆっくりと動き出したよ、この火車が。そしてこの僕が。まっくらな外の世界。灯はほとんどみえない。しかしここでも人は食べ飲み語り恋を失恋をくりかえしているのだろう。それは別に不思議なことでもない。こんなところに僕がきているのも不思議じゃない。僕の人生の中にくみこまれたプログラムの一つにしかすぎないのか。まだ人生のシナリオはできていない。演者自らが記していく台本、見事な演出が求められている。観客も自分。ここでも自己完結。みごとだ。神は観客ではなく通りがかりの異邦人だ。
それにしても中国人と外国人の格差はどうしたものだ。中国は外人をこんなに受け入れてしまっていいのか。悪影響は必ず及んでいる。この国が外人をしめだしても僕は反対しない。幸せな奴をみたら誰だって……幸せの概念がちがうかもしれないってことで、いいのかな。