備忘録か。そういえば昔は嬉々としてこれを書いていたんだった。

2013年春に東大に奉職してすでに6年と4ヵ月がたった。当初は契約期間は最長5年だったはずだが、東職ががんばって5年有期雇用で働いた人が無期雇用転換権を得ることができるようになり、おれはその新制度の恩恵に預かったのだった。幸運だった。勤めていれば、金の心配をする必要はない。企画をたてて版元に持ち込んでも通らず、出すべき請求書もなく、困った感を隠しながらもにじみでているのがわかる奥さんの顔を見て苦しくなることもなくなった。

家庭を見れば、娘はまがりなりにも働き始めて1年4ヵ月。しばらくは夜勤があって大変そうだったが、所属が変わってからは夜勤もなくなり、それなりにペースをつかんでいるように見える。穏便で心がやさしいだけが取り柄な奴だが、それが重要な資質となる職場なんだと推測できる。あの何もできない娘が、自分でiPhoneをキャッシュでどんと買えるようになったんだから大したもんだ。働く場所があって、たまに音楽を弾いたり聴いたりできる環境にあれば満足できるはずだ。息子は大学2年。小さい頃はサッカーに連れて行ってもそれほど楽しそうではなく試合中にDSをやっていたものだが、物心ついてからはサッカー、それもFC東京に目覚めたらしい。サッカーに関わる仕事をしたいらしく、東京の試合評を書くようにもなった。内容は非常に普通だけど、何か書くのが苦手ではないことがわかる。娘も息子も悪くない。大いに悪くない。

で、おれだ。以前からやる気がほとばしるような人間ではないが、少しはやる気があるっぽく振る舞うことはできたはず。いまではそれもできない。はっきりとできない。そうする気もない。何かやりたいことがない。風呂に入って寝るだけ。学生時代に戻ったかのようだ。フットサルをやめてもう1年以上。まったく運動しなくなってしまい、驚いたことに腹回りが大きくなった。おれはそういう悩みとは無縁の痩せぎす人間だと思っていたのだが、違った。ウクレレはしばらく楽しかったんだけど、上達が止まってからは惰性でやっているだけという感じ。このおれ全体の鬱々感はいかんともし難い。その要因の一つが右目の不調であることは確かだけど、それがなくてもまあ同じだったろうなとも思う。

息子が大学を卒業するまでは東大で働かせてもらうつもりだが、その後はどうすればいいのかわからない。同じ媒体を同じ人がずっと担当し続けるのはいいことではないと思う。居座って老害をまき散らすことはなるべくしたくない。まあ、もうしているのかもしれないが。こまったもんだ。昔は「やらいでか」が好きだった。いまはどうなんだろう。はてさてほほうさてほほう。って何度か書いた気がするね。。

忘れてた。本日は久々にうんこを漏らした。ショックだったのは、漏らした意識がなかったこと。もちろん便意は感じていたが、そんな切羽詰まった感触はなく、ギリギリでは全然ないレベルでせきとめていた、と感じていたのだが、現実は違った。括約筋だけでなくセンサーの部分も劣化していることが明らかに。