1988年のジロリン(8)

・1988年7月31日 西安 勝利飯店
西安は上海よりも女の人がかわいいところです。上海では、数えるほど、というかほとんど数えられないほどの人数ーー1人ーーでした(上海雑技の人たちは除く)。ここは全然違います。もう50%以上の率でしょう。札幌よりも高率です。でも、Gちゃんにいわせると、疲れているからじゃない?となります。人それぞれですからね。
中国でも若者は多少なりとも英語のたしなみがあるみたいで、こちらとしてもはりあいがあります。思うに、アジア系の人々と英語で話すときには、欧米系の方々と話すときのようなプレッシャーはありません。それは、アジア系は英語のnative speakerではないという意識が僕の心にあって、彼と僕では教育の受け方に差がある(こっちが上だと思っている)んだっていう優越感とともに相対するせいだと思います。欧米人とも対等以上の立場で接することができるようになりたいものですね。それには、言葉(主に英語)のプレッシャー=劣等感とともに、体(主にちんぽ)のプレッシャーを克服することが急務と考えます。今日も淋浴で外人(勿論欧米人or豪人)と肌を並べる機会を得ましたが、改めて彼らの偉大さに感到いたしました。そう、彼らは偉大であります。長さ、張り、色、形、それぞれ申し分なし。ほれぼれするよないなせな野郎です。幸せな人々だと考えます。それに比べると我々アジア人は申し分なしというわけにはまいりませぬ。特に中国人は意外な展開をみせてくれました。あれだけのパワフルな生をこちらにみせつけておきながら、あのていたらく。同じ亜細亜人として恥ずかしいほどであります。勿論僕も亜細亜人です。どうやってたんれんすればいいのでしょうかね、火車服務員のおじさん。ねえ、飯店のきれいなお姉さんも、背の高い王貞治ライクな学生も、覇気のない鼻たれ10円ハゲの孫子們も、チェンジマネーなんかにはげんでないで、少しは自分の体をたんれんしたらいかがでしょうか。そう、僕は中国人の体を持っています。頭脳は日本人。心は宇宙人。深く考えて書いているわけではありませぬ。硬座の旅で疲れているわけでもありませぬ。〜は〜ぬ、〜も〜ぬ、ときたからといって、ただ〜だけが〜なのでございます、なんて展開するわけはないのです。ずっと直角の椅子の上ですごすのは、お尻との妥協にポイントがあると踏んでおりましたが、あれは体のポジションチェンジが可能であるかどうかが勝負の分かれ目なのでございます。その分かれ目の目くそとしてできたのが奶油香肉*1なのでしょうか。中国のドライフルーツ群は感心できるものではありませんね。西安の拉面はおいしいですね*2。トマトベースでしょうか。ただのトマトじゃないですよねえ。どうも日本男子は閉鎖的であります。なんて意識して書いてしまうと、ますますそういう傾向を強めてしまうものです。この匂いはニンニクでしょうか。悠久という名前とともに漂っております。悪い匂いではありません。西瓜のくさった匂いでもありません。それは上海です。ここは西安です。

*1:何回か食べたドライフルーツのはずで日記には確かにこう書いてあるのだがぐぐっても出てこない。パッケージの文字を転記しまちがったかも。

*2:漢民族とは明らかに違う顔立ちのウイグル人たちの屋台で何回か食った。あれはほんとうにうまかった。。