1988年のジロリン(7)

・1988年7月30日 上海→西安 在火車
今、僕、汽車の中。周りに中国人たくさん。これがうわさの硬座*1なのだねえ。思ったよりも中国人のみんなは日本人に興味を示さないようにみえたが、だんだん本性を表してきたか、元気に質問をくれる(中国人のみんなとしたところに筆者の彼らに対する親しみが表れている)。僕、外国人と自由に話ができるようになりたい。景色は日本と大差がないようにみえる。ここでもAは正しい。勉強は大切である。あれえ何だか今日はあんまり考えていないなあ。周りの話し声がどうも気になる。今日の失敗ーーGが忘れ物をとりにいったときに待ち合わせ場所にいかないで〜〜〜〜〜めんどうだから書くの中止。中国人の人々は、やはり外人のしかも学生が遊びに来ているのを根ではよく思っていないようだ。「おまえの父母は授業料を払っているのか」「親に養われていることをどう思うか」ということを聞いてくる。とても悔しい。それはもう、昨日も雑技で泣かされたように、中国の人々が一所懸命生きているのはわかるし、もちろん感心している。しかし昨日とは違って、僕は僕のがんばりとともに生きているという思いが強い今日この日だ。「仕事は何をするのか」という問いには、ためらいはほんの少しに、小説家と書いた*2。このことは重要ではないがこれをこの日記に記していることは重要だ*3。あと16時間ここにいなければならなく、その後はもう日本人はGだけ。ホテルえらびから何から自分らでやらねばならない状況になり、それはかねてからの僕らの目的であるのだ。金との、言葉との、自然との、人間との、他人との、たたかいーーではなくやはり僕は親しみあいと考えたい。自分とはたたかっていかねばならないのでしょうけれども。でも今は尻の痛さとのじゃれあいが一番きつい。あれえ、ほんとに出てこないなあ。なんでかなあ。隣のイカダ君*4を気にしているからかなあ。かわいいのは中国人の子供。今日は歯をみがけない。左上の奥に親知らずが出てきて気になっていた。とやっと書いた。この2〜3日書こう書こうと思ってたことだ。爪の間はまっくろけ。まっしろけなものは何? あるかいそんなもん。まっくろけもない。あーあせってきたよ。ほんと何も出てこないぞ。集中だ集中。もっとおそくなってから書けばよかったかな。ヘディン、おもしろくないしな*5。昨日は夢みてないしな。中国人、いっぱい集まってさわいでる。僕たちはほんとーの傍観者。僕に向いている職業は、傍観者です。第三者です。そうか旅人が僕の職業か。昨日いたじゃん、フリーターでいっぱい旅してる人。あーいう人うらやましい。うらやましいけど自分でやるとなると、黙る。部屋のベッドはよだれがたれてこないのでさみしがっているだろうか。僕はやっぱり鼻濁音とサシスセソth音が嫌い。帰りのキップはとれました。心配するなよおっかさん。そうそう絵ハガキまだだっけ。きっと明日もかかないよ。不思議だあね。今日の僕が、ひと月後にはあの部屋で、ああおわっちまったこれから何しよう、なんてため息をついているんだろうよ。そしてまた何かつづっているだろうよ。どこからが明日の僕?

*1:客席の種類。その名のとおりシートがただの木材で硬く、角度も直角のため長時間座るのは厳しい。金がある人は軟座、もっとある人は寝台の硬臥や軟臥を使う

*2:中国語会話力が乏しいため中国人との会話は主に筆談によるものだった。

*3:いま思うとまったくそれは重要ではなかったようだ! そしてそれをいまパソコンに入力し直していることもまったく重要ではない。。。

*4:駅で知り合った日本人バックパッカー。少し甥に似た感じ。

*5:当時、なんとなく砂漠に憧れていて『シルクロード』の文庫本を持参して読んでいた。この旅の目的地は砂漠だった。