1988年のジロリン(5)

・1988年7月28日 上海 浦江飯店
 今日、上海に着いた。ここはパワフルだ。あつい。むしむしする。人がたくさんある*1。歩いて違和感はない。建物は古くさくて素敵だ。さすがにヨーロッパの租界だっただけのことはある建築様式。汚い水に浮かぶ無数の船たち。しかしここは人の町なんだ。チェンジマネー*2の群れ。或いは日本人など見向きもせずに座って何か飲んでいる人。信号はあっても守る奴は不過半数。自転車がベルをならさないことがない。みんながんばって生きている。少なくとも僕よりはそうしているような気がする。
 今日この町を歩いていて思ったのは、僕にはA*3が合っているのではないかということ。Aとここを歩いたら更有意思じゃないだろうかということ。Gとはリズムが合ってないみたいだ。なんかこう、新鮮な驚きを半減してしまうようなところが僕らにはある。なんかお互いわかったように見せたがっている。もちろんAと僕の間にもそういうところはあるが、知識とわりきって自慢しあっているような感じがある。底ではお互いバカだとわかっているんだけどそれじゃ悔しいからわざと張り合おう、というか。張り合うっていうのは彼は感じてないと思うが、僕はよきライバルのように思っている。僕とGは人間的理解が成立してないのかな。なんか違う気がするんだよな。僕の北海道根性のせいだろうか。それとも上海の湿気含みの熱気のせいか。何だかとてもAがいとしく思えてきたのは幻だろうか。彼は今勉強をしていますかね。勉強しなきゃと改めて思う。
 中国の若い人(もちろん僕が会って話した数人だけ)は勉強熱心だ。日本語が上手だ。Kさんのいった「勉強は学生の義務だ」という言葉が思い出された。立派だなあ、中国人。ああ、またGへの不信がよみがえる。不信というのはあまりにもGに失礼だけど。そんなに人を疑わなくていいんでない? 僕は彼らがチェンジマネーのために案内してくれたとは思わなかった(今は思う)。もしそうであったとしても、そんな悪く、というか自分が悟ったようにいわなくてもいいんじゃないか。僕は甘ちゃんだから、だまされて痛い目にあったことないから、お人好しだから、ということはできるが、Gだってそうじゃないのかなあ。僕はただ遠くへ来ておセンチになっているのだろうか。こういう奴はこれから痛い目にあう運命なんだろうか。実際には、僕は人間を信頼しているのだろうか。これはひょっとしてAの影響じゃないだろうか。なんだかそれっぽいぞ。ははは。うれしいながらも哀しい気持ち? 
 あっそうそう、上海は「未来少年コナン」に出てくるみたいなところだよ。うん。どっかで見たことある感じだなと思ったんだけど、やっと今わかったよ。ところで僕たち、8月中に日本に帰れるのかねえ。今日和平飯店で船票とれなかったんだ。明日もとれなかったら香港経由で飛机で帰るしかないんだ。お金ないのになー。僕って実はせこくないのかもよ。だって交換レート100-155でも別にいいやって思ったし。切符買ってくれた人にメシおごってやれ、と思ったし*4。だってあくまでも彼は「〜してくれた」んだと思うんだよな。ま、今はそうでもないけどさ。やっぱ旅に出るとかわっちゃうのかなあ。暗に僕はここでもGちゃんを非難しているのかなあ。なんだかこのままじゃ楽しいことを逃してしまいそうだよ。明日までは鑑真号からの仲間たちと一緒だからますますそう思うのかもしれない。明後日からがほんとのGとのつきあいなのかもしれない。どーだろ。
 僕の中国語は通じているのだろうか*5。さあね。少しはね。上海では英語の方が重要ですね。けっこう話せるもん…かな? アメリカンと話すよりは楽だ。向こうもnative speakerじゃないっていう安心感があるから? で、こっちの方が難しい単語を知ってるんだよな。dreamとかoccupationとかtraffic accidentとか上海人は知らないぞ*6
 「ラグタイム*7メンバーが山小屋or somethingに集っていると外人(あくまでも西欧人)の若い女が入ってきて英語の童謡みたいのを歌い出す。一同何いってるかわからずとまどっているとGちゃんがすっくと立ち上がり流暢に一緒に歌い出す。一同尊敬の目」「バスケかアイスホッケーかなんかの試合。片方のチームには外人っぽい外人が一人いて熱血にプレイ中。彼があるプレイに関して抗議するも受け入れられず客のひんしゅくブーイング起こる。すると彼、OK、OKというふうになだめ、『みんなの歌』をうたいだす。一同は小さな声で少しだけつきあう」「小学校か中学校の卒業式。僕たちは当事者ではないがお手伝い中。壁に絵をのりではっつけたりしている。僕の横にはタケボン、先生は生徒との別れに号泣、女生徒も泣く。それをみて僕ももらい泣き。もう心は先生の心と一体。その後Hたちと一緒に机、いすをリヤカー(古道具屋のおっさんをつれてきた)にのせて運びだす。これらは高く売れるだろうか」。以上、今日みたはずの夢。もう2〜3本あったはずだがわからんなあ。
 ここにはゴキブリ(大、黒)がいる。北海道のやつとは違う。夜の景色もいいね。ま、夜はどこの景色もいいか。上海人は顔がギラギラしている(特に目?)。あーいうのをアブラギッシュっていうの? かわいい女の人まだみてない。夕飯時の店員が少しFさん*8に似ていて気がひかれた。表情と姿勢が素敵。かっこいい中国女人みてみたい。
 まだ全然写真とってない。買い物もしてない。金が心配なんだよな。でも体調は回復に向かっているしし、火車票も硬座だけどローカルプライスで手に入れたからまあ割合順調な方だろうな。帰りの船さえとれればな。もっといっぱい見てまわらなきゃ。街を、海を、山を、人間を。ね、せっかくこんなとこまできてるんだからね、欲張るべきだな。そうすっと、もっとがめつくってことはもっと人を悪くしなきゃ。お人好しじゃいけないか。Gに謝った方がいいかな。ごめんなさいね。あー全くの自己完結。
 上海か。もっとドロドロしているかと思った。かといってよい擬態語がみつからないのがくやしいが。ムシムシ、ジトジト、ネトネト? 実はまだ3日目なんだよね。あせっちゃいけないさ。札幌じゃただねてるだけの大学生だっているんだろうから.僕と大差はないけど、やはり差はあるのだ。きっと。がんばよ。がんば。黄浦公園の若き、そしてあまり美しくない、しかしがんばって生きている恋人たちとともに。おやすみなさい。

*1:意識的に「いる」じゃなくて「ある」と書いた記憶あり。上海人を人ではなくて物であるように捉えていることを表現したつもりだったはず!

*2:かつて中国には地元民が使う人民元と外国人が使う外貨券の2種類の通貨があり、外貨券ほしさに両替をもちかける中国人が多かった。百貨店などには外貨じゃないと買えない物品も多かった。我々外国人としても、地元のデイリーな物品を買うには人民元が必要だった。いくらのレートで交換するかが問題で、旅慣れた人は低いレートでないと交換に応じないが、我々のような初心者はよくわからずに向こうにとって有利なレートで交換してしまう感じだった。

*3:大学1年のクラスで一緒になりその後サークルでも一緒だった奴。クラスで一番人気だった子がいて、おれも含めみんなが気にしていたが、同じ高校出身のAが実は最初からつきあっていたことがわかってジャンジャン、という経緯があり、常に嫉妬の対象だった。現在ユジノサハリンスクにいるらしい。

*4:うだうだ書いているのは、確か上海から西安までの火車の切符を買おうと四苦八苦していたら、中国人が声をかけてきて、外人だと軟臥とか軟座とかの上級車両の切符しか買えないからおれがかわりに買ってきてやるといわれて、お願いしたら、そのかわりにチェンジマネーを要求されて、やっぱ案の定だよ〜という流れ。はっきりは思い出せないが、Gは失敗したと思っていたが、おれは上々だと思っていた…はず。

*5:おれは西洋哲学専攻だったが教養学部時代にとった第二外国語は中国語だった。

*6:さすがにdreamくらいは誰でも知っているはずだが、たまたま話した中国人が知らなかったのだろう。というかこっちの発音が悪くて通じなかっただけかもしれん。どうせ「おまえの夢はなんだ?」とか聞いて悦に入っていたのだろうと思うとまったくもって噴飯ものだ!

*7:おれが所属していたサークル名。肩書きはオールシーズンスポーツクラブ。当然女子と遊ぶための組織だったと思うがサークル内交際は原則禁止という倒錯したサークルだった。

*8:大学1年〜2年のときに好きだった子。クラスが違ったけど英語の授業がいっしょで、いつになく積極的に自分から飲み会など設定して、家まで送ることに成功したのだが、別れ際にキスを迫って引かれてすごすご駅まで戻ろうとしたら、雪で足をすべらせててっころんで犬の小便跡にまみれて、その一部始終を見られてしまったという苦い思い出がある。