1988年のジロリン(2)

・1988年7月25日 神戸 
 バロン*1で一緒だったK君と舞鶴で再会。大阪まで彼のビートルで送ってもらってラッキー。さらに夕食までお世話になってモアラッキー。しかしビートルってあんなにスピードでないもんなんですね。Aのチョロ君*2よりも遅い坂道。でもありがとう。助かりました。
 で、Mさんの友のMさんちに到着。Mさんもこれが面倒見のいい人で、六甲山、六麓荘、異人館など、夜中の名所ドライブにご招待。しかしここでも僕は僕らしさを発揮。Gが助手席で軽く会話を受け流し心地よい空間をつくりだしているのに、僕は後部座席でひたすらに眠気とファイト。ほんと苦しいほどであった。しかし一寸も眠らないことに成功、僕なりの満足を得ていただろう。まあ、もうとっくにあきらめようとしていることであるのだけれど。*3
 今日はGと飲んでしまって、明日の出港に備えるとムダな出費だったかしら。思うにここは札幌より女がきれいだ*4。話してみたかったけどそういうチャンスはなかった。さすがにGの威力も神戸では通用しないのかなあ。ちっ。なんて僕って利己的なんでしょうかねえ。
 神戸はBigだ。札幌の街並がいくつも集在していて僕は正直に感心してしまった。港は美しい。この辺りで青春時代をすごせたらすてきだったろうと強想した。少しつくられすぎの感は否めないが、若い2人にはそんなこと目にも耳にも入らないことだろうて*5。明日からとうとう本番。Mさん、K君、Mさん、みなさんに感謝しながらねむろう今宵。

*1:南8西4にあった24時間営業の喫茶店カフェ・ザ・バロン。今回の旅費はここでのバイトで稼いだ。23時〜7時までの深夜帯だったのに時給はたったの550円だった。すすきので仕事を終えた水商売の人々でいつも結構混んでた。中でもGlobeという店で働くかっこいい若男女たちはよくきてだべっていておれもこっちじゃなくてあっちのほうに入ってもおかしくないのになあと憧れつつ嫉妬していた。勤務明けにリンゴをかじりながら朝の太陽に目を細めて中島公園まで歩くのがわりとお気に入りだった。リンゴはかっこいいものだと思っていた。

*2:ダイハツシャレード

*3:この頃、車中で楽しい会話を繰り広げることがおれの大きなテーマだった模様。2人のときは別になんともなかったが、3人以上になるとどうも居心地が悪く、めんどくさいから寝たふりしてその場をやりすごすことが多かったのだと記憶しているが、いま振り返るとよくわからない

*4:この日記の頻出ワードw

*5:夢見がちな俺はセンチなため息をついている♪