『世界屠畜紀行』にZOKKON!

世界屠畜紀行

世界屠畜紀行

いやー、この本に眉間を射抜かれました。空砲銃で。ぱぁんと。焼肉でも豚肉しょうが焼きでもハンバーガーでもフライドチキンでも、少しでも肉食うやつは全員これ読まないと人間失格って感じ。って感じ、とあいまいにする必要なく、人間失格と断定! ま、失格でもいいけど…。テーブルにさりげなくおいといたら、娘がちらっと見たのか、「ねーねー、家畜ってなに?」と聞いてきたよ。しめしめ。娘には
『いのちの食べ方』
いのちの食べかた (よりみちパン!セ)

いのちの食べかた (よりみちパン!セ)

を見せてあげなきゃ。
『世界屠畜紀行』*1は、タイトルどおり、韓国とかバリとかエジプトとかモンゴルとか日本とか、世界の屠畜(殺)事情を見てまわって書いて描いたイラストつきレポート。著者には、差別問題とかを追及しようみたいな気持ちはあんまりなく、純粋に家畜を肉にするまでのテクニックに興味が集中しているのがイイ! それにより、屠場で働く職人たちのかっこよさがひしひしと伝わった感じ。
まえがきはこんな感じ。

 屠畜という、動物を殺して肉にする行為をはじめて目にしたのは、1993年、モンゴルでのことだった。中部ゴビの大草原に点在するゲル(遊牧民のテント)に滞在していたとき、ゲルの脇で夕食のもてなしのために、女性が数人がかりで羊の内臓を洗っていたのだ。血で赤く染まった鍋に浮かぶ長い腸を見てぐわんと衝撃を受けた。すごい! これをこれから食べるんだ。そうだよな。肉って血が滴るものなんだよな。グロテスクだとか、羊がかわいそうだとか、そんなところまでまったく気が回らなかった。なによりもその辺を走ってる羊が、鍋にちゃぷちゃぷ浮かぶ内臓や肉になるまでの過程を見損なってしまったことが悔しくてたまらない。どうやるのかな。羊の中身ってどうなってんのかな。肉ってどうついてんのかな。頭の中はそれだけでいっぱい。

 そういえば、おれは学生の頃、ウイグル自治区で似たような経験をした。訪れたおれらのために、案内してくれたジャナブリ君たちはゲル(パオ?)の前でヤギを1頭つぶしてくれた。桶にたまる血と、ころがされた頭からこっちを見るヤギの細〜い瞳孔に、都会育ちのおれは食欲を失ったけど、せっかくつぶしてくれたんだから食ったけど、なんかちょっとうんこくさい肉であまりおいしくなかったのを覚えている。あのときって、いま考えるとチャンスだったんだな。あのときになんでこの世界に気づかなかったかな〜と思うと、タマちゃんがじんじんする。一生の不覚かも。
 本書が伝える日本の屠場*2の丁寧な仕事ぶりは感動的。アメリカのそれに比べたら差は明らかで誇らしい。チェコでは、つぶしを上手にやる肉屋が経済的にも社会的にも高いところにいて、けっこうみんなから敬われているそう。日本もそうなってほしいと思う。おれのイメージでは、上手に肉を料理する人よりも、上手に家畜をつぶして肉にする人のほうがかっこいいんじゃないかと思う。次の月9は屠場を舞台にしてほしいと思う。屠畜職人をテーマにしたのだめみたいなマンガが読みたい! 誰かタノム! 牛も豚も鶏も育ててるとすごいかわいいんだけど、家畜だから殺して食うよ、だっておいしいから。みたいなことを言う人が出てきて、著者のスタンスも一貫してこれ。生き物を食うことの最重要テーマはこれじゃないかな〜。自分でつぶさずに職人にかわってやってもらっている消費者(おれ)は、これを意識しないとだめぽだよな〜。たとえば、肉のパックに、その牛(豚、鶏など)がつぶされる瞬間の映像にリンクされるQRコードをつけて、食うやつはそれを見てからでないと食っちゃだめ!みたいなシステムになったらおもしろいんじゃね? そこまでやれる国民は日本人しかいないと思うし!
 個人的には、『焼肉様式学入門』のときにちゃんと考えればよかった…と思う今日このごろ。遅きに失した! 


 熱に浮かれて『ドキュメント屠場』

ドキュメント 屠場 (岩波新書)

ドキュメント 屠場 (岩波新書)

も読んだけど、こちらはウチザワさんよりもっと社会的なアプローチ。職人たちの仲間意識がすごく高いのに惚れた…。分業された解体工程の中で、次の工程の仲間が楽になるだろうから、ここをもっと丁寧に仕上げるんだ、みたいな思いがデフォルトになっているそうな。カコイイ…。

*1:ブックデザインby寄藤文平

*2:屠場も屠殺も屠畜もATOKでは変換できないぞw