俺過去日記.12 18歳童貞編

・1986年4月27日

この何日間はいろいろあった。退部届けを出した。小西さんはいなく、本来の部長の方がいたのでその人にわたした。部長はかっこいい人だった。女にもてそうな人だった。やさしい顔をしていた。俺が届けを渡すとちらっと中をのぞいていたが、、、なんて思い出して書く理由は何だろうか。疑問だがやっぱりかこう。だまか。なによ。経済的に苦しいのか。いや苦しいわけじゃないんですけど。ぼく自宅なんですけど、やっぱりはやく家を出て独りで暮らしたいんですけど、部にいたらあまりかせげないと思って…。ふうん。なに、おまえ、出身は? 札幌旭丘です。へえ。テニスやってたの。はい。したら土井とか知ってるだろ。はい。うん、そうか、いや、別に、何もあやまることなんかないから。どうしてもまたテニスやりたくなったらこいよ。一応これは預かっておくから、な。はい、どうもありがとうございます。うん、おまえ、どこよ、系だよ。文?です。文?? ヒマだろ。いえ(苦笑)。それじゃあ失礼します。おう、じゃあな。 部長さんはいい人だ。あんな風にいってくれるとは意外だった。しばらくしてから、「やりたくなったらまたこい」ということばについて考えたが、そのときの応対はあれでよかったのか。「バカにしてないでください」とかいって怒って涙をためて立ち去った方が男らしかったんじゃないかとか思ったが、そんなのはよくない。素直にきいてよかった。二、三日前には三年の先輩とすれちがい、声をかけられた。あの人は俺の退部を知らず、おれがいうとおどろいて、俺を茶店にさそった。そうかやめたのか、もったいないよ、なんでかなぁー。はい、お金ためて独りで住みたいんです。ふうん、俺も自宅だけどさあ、やっぱり続けないと部のよさってわかんないと思うよ。俺はね、バイクのってんだけど、事故ってさあ、部休んでんだ。去年もね、試合の帰りにやっちゃって、次の日、がんばって首に包帯まいて試合出たよ。そしたら具合わるくなってまた病院にいったけどね。なんていうかさ、俺は先輩たちのひたむきな姿にしびれたんだよな、うん、ついていきたいと思ったわけ、だからね、部休んでるときも、タマヒロイだけは出たしね。まあいっただけじゃわかんないだろうけど、バイトしながらだってやれるぜ。家教やってさ、俺もやったよ。して、バイクかってさ。 俺は多少自分をへりくだって応じた。 ぼくといっしょにいるとこみられたらヤバいんじゃないですか。何、おまえ何かやましく感じてるわけ。はい、やっぱり裏切った形になるわけだし。 先輩は何とか俺をひきもどそうといろいろ話してくれたが、これでまいもどったらそれこそ笑い者だ、と俺は思う。みんなはそう思わないようだが、俺がそう思っているからそうなのだ。俺は他人にまどわされてはいけない。これまではまどわされてまずい状態をつくった。でも、他人のいうことにまどわされないようにするということは、もう他人に他人にまどわされているといえなくもないかな。いや、こんなのはヘリクツというべきであって、やはり自分を頼るしかない。 俺は先輩の話をきいてしおらしくうつむいたりしてみせたが、特に感動したってことはなかった。今ごろ知身たちはぐでんぐでんになっているんだろう。女の先輩に誘われることを考えたりもしていたが。 めがねを買った。寮歌祭にでた。バイトの面接をうけた。新歓クラスマッチがあった。服を買った。山崎の家に泊まった。 寮歌祭はさすがだった。一生けん命に歌った。みんなで肩をくんで都ぞ弥生をうたうとほおを涙がつたった。北大生だった。右どなりも左どなりも前も後ろもみんな北大生だった。その中に囲まれて俺は北大生だった。この涙を、浜口も大湯も知らない。俺と北大生だけが知っている。受験勉強をやり通したそのお返しがこれだ。みーやーこーぞ、やよいー。俺は中年になって、よっぱらったらこの日の歌をうたう。それは情けない中年の姿ではない。誇らしいことである。さあよ迷いの夢さめよ、友たれ永く友たれ、だ。北海道大学にいることを誇ろう。これから胸がしめつけられるような、たまきんの奥がじんじんするようないやな感じになったら、北大の歌をうたうんだ。うたっているとき、そしてその後の何日かの、声がかすれている間は大丈夫だ。たよりになるものがある。 もう春がくるのだ。今年は何か待ち遠しい。というか、雪がとけてから緑がくるまでこんなに長いかんじなのは初めてではないか。まだ学内は美しくない。特に教養部はよくない。あれはまずい。教養部は北大じゃない。だから俺ははやく学部にいかなくちゃならん。留年しちゃだめだ。勉強すれってことだ。日本文学購読がいい。俺は熱中できそうだ。あとはだめだ。英語力がおちてしまった。全然わからなくなった。不安である。旭丘出身の作家がいるという。土居良一。あんた今どこにいる。みてみたい。よんでみたい。古本屋にも図書館にもなかったよ、先輩。神谷先生が「旭丘出身…」といったとき、俺は久しぶりにドキリとした。心臓が大きくなった。きっと目が大きくなり、鼻の穴もひらき、耳くそがはじけ、肛門はきゅっとしまったであろう。ショックだった。どうしてだかしらない。俺がよく「作家になりたい」といってるからだろうか。いや俺は作家になんかなりたくないのだ。書きたいことがあるならもうとっくに書いているはずだ。学校にもいかず、メシもくわず、フロにも入らずに書いているはず。毎日学校にいってメシをくってフロに入ってるってことは、俺にとって書きたいものはないということ。あるいは、あってもそれはその他のことよりも弱いことで、どうしてもやりたいことではないのだね。それは残念である。高井もやっぱりだめだったか。ふっ甘いぜ。俺はそんなもんじゃない。「形容詞がつかない」という形容詞で表される男というのは許されるか。ペナルティだ。少しどいてろ。俺は19才になった。