1988年のジロリン(11)

・1988年8月3日 西安→烏魯木斉
窓の外は平原。昼には赤茶けた山々を見せてくれていた地球も今は黒暗里*1。どうやら漢民族の範囲は終わりに近づいているのだ。そうだ僕が見たかったのは西部の砂。それがもうちょっとだ。今日の日の入りは9:50。日本と時差がないのは強引だ(G曰く)。ここ硬臥車はどろどろした感じがなくてすごしやすい。ドライだ。
今日気づいたこと。僕は、年上の女の方が好きなのではないかと思っていたが、実は、年下の、しかも少女時代の女の子の方が好きなのでは? 僕のベッドの下*2にいる16才の女の子はかわいい。8才の女の子もかわいい*3。いつも隣において見ていたい感じだ。ここでも僕は傍観者なのかな。
日本の方々はどうしているでしょう。惰眠をむさぼっているでしょうか。黄金の杯に身を預けているでしょうか。空想の恋人のために苦しんでいるでしょうか。僕には関係のないことです。僕は僕のことのみ考えます。訂正。僕に関係のあることだけ考えます。
中国行き。誘ったの僕よ。僕がいいださなきゃ僕らこんなとこにいないんよ*4。君がOKしなきゃこんなとこいないよ。ってね。
なんか、中国の女の人たちいいなあ。純な感じを与えてくれるんだな。ほんとはちがってもいいんよ。言葉が通じない方が素直につきあえるかもしれない。
汽笛がうなる。力強い蒸気のひびき。中国に来たら俗になるんじゃないかな。僕が元来は聖だったってことではなく。言葉の勉強しなきゃ。言葉の勉強は人間の勉強だ。どうせ何をやったって死ぬのだからっていうのは勿論あるけど、今はずっと勉強していっぱい言葉を使えるようになってたくさんの顔をみることに一生をかけてもいいんじゃないか、それってけっこう立派なこと(自分の生涯を通してやること)と考えていいんじゃないかと思っている。
Gは情報を仕入れにいっている? うーん*5
僕の旅の目的の一つに、旅を通して感じたこと考えたことを書いて残しておきたいというのがある。旅が自分を成長させてくれるならその過程を記は表してくれるはずだ。その逆の場合でも僕はそのプロセスを読みたい。だからつとめて書くようにしている。若干暗い感じが漂うがその方がより僕らしい。人とたくさん会ってもしょうがない気もする。会って得た認識の束を自分の中でまとめる、或いはもらってきた卵を自分の中でかえらせること、それは書いて考えることだ。考えてるだけではだめなんだから、目にみえる行動、書くこと、をしなければならない。それだけでいいとも思わないが、今できることをやることだろう。自分の書いたものを読みかえすのは楽しいじゃないか*6。歴史やりたい、とふと思った。僕の目的は見聞を広めることではない。感じることだ。考えることだ。書くことだ。それが僕の行動のいいわけだ。理由だ。でもな、俺、考えていないんだよな全然。ちょっと悲しみながら寝床に入ろう。

*1:ヘイアンリ=中国語で「まっくら」の意だったはず

*2:コンパートメント内に二段ベッドが4つか6つかあって、おれは二段ベッドの上にいて、下には中国人の家族がいた

*3:いかにも漢民族という感じの美人、に成長しそうな感じの、髪をだんごにした幼女だった

*4:今回の中国旅を演出した手柄は自分にあるのだという考えに支配されていたことがわかる

*5:たぶん自分にはそういうことができないことを認識して嫉妬していたんだと思う

*6:まさにいま読みかえしているけど、残念ながらそう楽しいもんじゃないよジロリン……