凍てついた放出願望

日記を書かなくなって久しいけど、昔のを読み直してみると当時の自分と話しているみたいな気持ちになってわりとおもしろいので、未来の自分のために書いておこう。
と思って開いてみたけど、特に書きたいことはない。東大で働き始めてすでに2年半。何か言いたい、出したい、発したい、というフリー時代に当たり前にもっていた感覚がどんどん薄れているのをここでも感じる。言いたい、出したい、発したいという感覚はもちろん、実際のところ、何かをやりたいという気持ちすら薄れている。目を閉じたい、眠りたいという気持ちは強くある。網膜剥離以降、右目のかすみとゆがみが治らず、目を開けているのが常に苦しい感じのため、目を閉じたくなるわけだけど、そうするとやっぱり寝ちゃう。一日が終わる。昨日から夏季休暇中なわけだけど、特にどこに行くわけもなく家でエアコンつけて犬と漫然と時を見送っているだけ。Uフレットで昔好きだった歌を表示してギターでコードをなぞりながらポメラニアンをオーディエンスに歌っているだけ。昔から振幅の小さいタイプだと思うが、病室のモニターの緑色の波がどんどん小さくなって直線に近づいているイメージがドンピである。まるで死んでいるように生きている感じ。「死んでいるように」が比喩として有効であるためには生きていることが大前提なのでやっぱりおれが生きていることは確実だが、だからなんなのと言われたら沈黙するほかない。あと2年この状態を続ける自信はあるが、その後が問題。やる気がない人間がフリーに戻っても生きていけないのは明らかだ。おれが転身するとしたら唯一活躍できそうなのはプロのスリーパーだが、残念ながらそんな職種は夢の世界にしかない。つーか夢に出てきたことすらないわいね。