『目でみることば』に完全降参!

おれのFC東京応援仲間である岡部さんというかおかべさんが「ばかばかしくも壮大な写真集」を出しましたよ! その名も『目でみることば』(東京書籍)。目でみることば「引っ張りだこ」とか「試金石」とか「分水嶺」とか、そういう慣用的な言葉の由来となった事物の姿を実際に写真に撮ってきてこれでもかと紹介して見る者をまいりましたと降参させる一冊。
慣用句を文字通り端的にビジュアルにしておもしろがるアプローチはわりとやりがちなんだけど、この本はそういうものとはまるで違う。「おうむ返し」でオウムをレジで返している絵を描いてもらって満足しているような輩(おれw)とはまるで違う。「あこぎ」だったら三重の阿漕ヶ浦、「剣が峰」だったら富士山の山頂、「天王山」だったら京都の天王山というように、その言葉の由来となった実物の写真を撮ってきて紹介しているのだ!
「絵」じゃなくて「写真」、「レンタル写真を手配して」じゃなくて「撮ってきて」の部分がこの本の肝。部屋でネット検索しただけでなんでも知った気になりがちな風潮にピシャアァッ!と冷や水を投げかけるように、作者はカメラマンと2人でとにかく実物のある場所まで出かけることにこだわったのだった。
その成果は、各語の説明の最後に入る編集後記的1ページに結実していると思う。一つの言葉に4ページ費やす構成で、1ページ目が言葉、2ページ目がその由来となった事物の写真、3ページ目が言葉の説明で、4ページ目はいってみればおまけみたいなものなんだけど、実はここがいい。現地に行ってみて初めてわかるような豆情報、たとえば「阿漕」+「由来」で検索しただけではたどりつかないような周辺情報に一日の長がある。目でみることばというか、横目でみることばというか、皮膚で感じることばというか、第六感で感じることば、みたいなもの。0か1かでは表せない人生の機微が示唆されているのだ!(少々大げさ)
もう一つ考えさせられるのは、本を作ることへの姿勢っつーか覚悟っつーか態度の問題。おれなんかはせこいというかしょぼいというか、企画が通らないと実際の取材に動き出さないパターンも多いんだけど、作者は企画が通る前から時間かけて旅費かけて取材を続けていた。そうすることで、自分はこの企画をなんとしてでも通すんだやらいでか!って本気の決意を確固たるものにしていたのだと思う。……いいね! という、内容的にも背景的にもジェラしさ満点の一冊だ。ま、今回に限った話じゃないけど。。
とこれだけじゃ嫉妬マイスターの名が泣くので、ただ一つ小声で指摘しちゃうのは、「乞う」の過去形は「乞いた」ではなく「乞うた」じゃないかということ。そんなことしか言えない自分が情けなくてそれこそ許しを乞いたいところですよ!

目でみることば

目でみることば