20年かかったけど新聞に自分の原稿が…

共同通信さんが声をかけてくれて、「オトナの地球儀」という地球儀紹介コラムを連載させてもらうことになってけっこう前に原稿を渡してたんですが、その後、いっこうにどこかに載ったという知らせはなく、そっか、どこの新聞社もこの記事は買ってくれなかったんだ。。。と、残念な気持ちと、共同さんに申し訳ない気持ちもあたためていたんですが、昼に文化部からFAXが届いて、「中國新聞」の5月27日付夕刊に載りました、とのこと。ほんとに載ってたよ〜。おれの顔写真もついてたよ〜。中國新聞さん&共同通信さん、ありがとう! チュッ!

思えば20年前、おれは新聞記者になりたくて、めぼしい新聞社はほとんど受けたけど、結局全部だめで、マリアナ海溝よりも深い挫折を味わった。とりあえず上京して働いた会社で編集の仕事に出会って、それでこう、いまに至ってるわけだが、ほんとは1年後にもう一回試験受けて記者になってやる、と思っていた。まあ、適性はまったくなかったんだといまとなっては痛感至極で、あのときの人事部の人たちは見る目があったなと思いますよ、心の底から…。そんな、20年前に振られた相手から、いまになって好きだと言われたような感じだったね。そりゃ昔はキミのことが好きで好きでたまらなかったけど、いまはもう別の相手がいるし…なんていう気持ちもちょっとあったりなかったり。なんつってね。ま、おれにだって、ちょっと屁のつっぱりをかますぐらいの権利はあると思うし。20年もかけてやっと昔の夢みたいなものをかなえた、とも言えるけど、そのわりにはこうして紙面を目にしてもとりたてて心が動かされる感じがないのは、やっぱもう歳をとって意識がもうろうとしてきているってことかなぁ。。。なんていいつつ、やっぱこれは札幌の実家に画像を送ろう。パソコン嫌いの親父がメールをひらいてくれることを祈る。そして、かあさんもこれを眺めて、ひととき、息子の名前や顔や声を思い出してくれることを願う。あなたの息子はあいかわらずうだつが上がりません。でも、間違ったことはしていないから。これからもしないから。