俺過去日記.7

  • 1986年4月9日

 今日から授業が始まった。30日に履修届を出すのにもう授業は始まっている。これはちょっとおかしい。行き当たりばったりの状態でスタートしなければならないのだから。何かいいかげんだ。それに講義がつまらない。興味深くない。学校にいると何かこう不安になる。俺が一人で歩いているからだろうか。周りを見ると数人連れ合って歩き回っているのがほとんどだ。幸い、福岡出身の久保君と親しくなれたのだが。久保君には悪いが、彼の印象はそうよくはない。ちょっとへりくだった感じで、俺が言ったことが聞き取れなくても相づちをうつ。これは俺にもたまにあることであるがおたがい注意すべきことだ。とはいっても僕は彼がいてくれて感謝している。やはり俺は他人の目というものに執着しているようである。 大学にいる間は漠然とした不安を感じていたが、帰宅して母と話していると何故かおさまってしまった。大学で楽しいことでもあったのかと自分が錯覚してしまいそうであった。大学生にもなってこれは恥ずべきことではなかろうか。高校のときも中学、小学のときも母と話して心が安まるなんてことはなかった。 ともあれ、今日は部屋にいて机に向かっていると楽観的になれる。時間割と「履修の指針」に困らせられても何かうきうきに似た血がきているのがわかる。こんなことを感じていると苦笑してしまった。しかしなかなか安らかである。さっき吉田知身君に電話して明日の約束をしたことも一因なのであろう。やはり僕は小心者であるので、授業中に決めた、「これが終わったら生協に行って硬庭の申し込みをしよう」という考えが、その先輩達が集まっているところをみるとおぢけづいてしまい、場を通りすぎてしまった。僕の決心というのは普通の決心より一ランクほど程度の低いものであるらしい。そういう私が親交のない彼に電話したのはどうしてか。昼間すれちがったとき彼が互いのクラスをとりわけ確認したこと、それと帰りの地下鉄で加賀美さんと会って話をしたことがそのきっかけだ。向かいの席に座った彼女に気づいて(この再会はなかなかうまいと思った。目があっていったん互いにそらし、改めて確認して微笑んだ。私の常である演技はかげをひそめていた)目くばせしてそのままうつむこうかとも思ったが、すぐ私は立って彼女の前にいっていた。多分僕は人恋しかったのだ。後悔の念も当然やってきたが意外に会話できた。加賀美というと、僕は彼女のおしりを少しつきだしたポーズぐらいしか思い出すことはできない。可愛いとは思わなかったが好感はもっていた。今日もその通りだった。彼女も看護婦志望だそうだ。 北大で会いたいのは岡本だ。不思議とまだ一度も見ていない。もういろいろ仲間をつくって楽しくやっているような気もするし、陰うつそうな表情をして独りでいるような気もする。やはり昔の仲間というのはなつかしい。しかし若者としてはそう気にしていられない。若者の演技をやり通せばそれは真に若者らしい男と違いはない。何となくではあるがやっていけそうではないか。この感じが今この部屋においてだけでなく大学にいる間にもただよえばよいのだが。