俺過去日記.6

  • 1986年4月8日

 今日、北大の入学式だった。昨日は前夜祭だったが、僕の心を一番ひきつけたのは応援団だった。しびれた。これこそ僕の求めていたものだ、と思った。「先輩、僕も仲間に入れて下さい」と言っている自分を想像すると涙がうかんだ。都ぞ弥生を肩を組んで歌った。この人たちと一緒にやるんだと思った。出し物がおわって外に出ると応援団の人に声をかけられ、「ストームやっていけ」といわれた。何のことかわからなかったが、先輩と肩を組んだ。大きな輪ができていて皆(といっても勿論先輩たち)は何やら蛮声をあげている。我々新入生は何を歌っていいのかわからずただ肩をくんでうごめいているだけであるが、何度もやるうちところどころの詩がわかる。「コッチャエーコッチャエー」「札幌農学校はえぞがしま」ぐらいしかわからないが何とか声を出して回るとこれがいい感じだ。が、まだ恥じらいが残っていて、声をはりあげるにはいたらず。何回もやっていたがなかなか詩を覚えられなかった。3番まであるということがわかるのに時間がかかった。周りの中では一番おぼえていなかった。でもよかった。かくまんたちは体験できないことを俺は体験した。僕はその雰囲気に酔った。肩をくんでいる奴らとともに北大生なのだと感じた。しばしの陶酔のあとこの集まりは、皆の拍手と握手をもって終わった。やけに周りの景色が美しかった。 帰り道、俺は口元に笑みを浮かべていることを意識した。いつものごとく若者らしさを装っていた面もあっただろうが、それよりも湧いてくる息吹の方が勝っていた。まちがえて一駅前で降り、電話した。この息吹を誰かに伝えたいと思った。電話にでたら「おう俺だ」と豪快に叫ぼうと思った。が、母が実際に出るとなぜか「おう、僕、僕」になってしまった。どうものりきれない特質があるのかもしれない。 僕の気持ちは応援団入団を決意していたようだった。セブンイレブンでほていのやきとりといか煮を買った。家のテーブルのもやしいためと飯をよそってちょこをもって部屋に入った。景気をつけて方向の決定を祝おうと思った。杯が進むうちに、心が内部から離れ、外からみるようになった。応援団入団の決意について考えた。もりあがった気持ちを維持するのは難しかった。維持しようとしている自分に気づいたときはもうだめだった。決心はゆらいでしまっていた。それからは苦悩が続いた。ストームのとき「俺やります」といえばよかった。俺はテニスをやりたくないのか。女のそばにいなければならない。ついさっきまでの決心はどこにいったのか。俺はそういう主体性のない奴だったのか。 3時をすぎてねむたくなり明日のことが心配になったので電気を消した。真剣に考えるべきであるのにすぐねてしまった。なぜだろう。僕の意志は弱っている。真剣に考えてはいけないのかもしれない。瞬間瞬間の成り行きに身を委ねた方がいいのかもしれない。が、これまでの自分がしてきた数々の後悔のことを考えるとそう割り切ることはできない。神は俺に○○をやらせようとしているのだと思えたらどんなに楽なことか。しかし、私のちんぽの中ではテニスの線がみえてきたようである。神は私にテニスをさせようとしているのだ、いや違う、いやそうだ、いや違う、そうだ………