俺過去日記.5

  • 1986年4月6日

 えのもとがまた別の男と歩いている夢をみた。 夢という語は昔からあるのか。「おいおまえ寝ているときに何かみなかったか」「おうみたぜ。寝てるってことは目をつぶっているんだが何でみたんだろうな」という会話を経てできたのかしら。 夢をみたということは考えたことになるのか。記憶しているということは考えたということになるか。しかし目が覚めて、こういう夢をみた、と反復してもその夕方には思い出せないことがある。勿論、かくまんが京大にいく、といったことを忘れていることもある。 ボケ老人も夢をみるのだろうか。また、夢をみたことを翌朝覚えているだろうか。 この前、『スキーにいった。リフトにのったがそれはハンモックのようなネット型のものであった。スキーははいていた筈。向こうからヒロヤとその他数名が街着をきて下りてきた。スキーのらないの、と聞いたら、おでこにシワをよせて(髪型はオールバック)お茶をにごしたという表情がぴったりの表情をした。僕がのっているのとは違うリフトに白っぽい背広にパナマ帽をかぶったおじさん(チョビひげつき)がいた。彼は何かいいことを話しているのだが僕のリフトの方がスピードがあるのでよく聞こえなくなった(リフトと書こうとするとリストとなってしまった) 終点についたので降りようとした。とびおりた。みんなそうしてた。スキーは体とは別にバサバサとふってきた。若いおばさんが子供をかばっていた。僕はストックをもっていないことに気がつき、大湯をさそってロッヂに入った。みんな待っててくれ、といって。ロッヂは変なところだった。中島公園の子供の国の海底たんけんの館にキャバレーかなんかにぴったりのピンクの光線をまぶしたようなところで、変な人形がたっていると思ったら、グーニーズに出てきたなんとか一家の女ボスだった。俺と大湯はドキドキしながら貸しストックのコーナーをさがした。女風呂みたいなところがあった。大湯は入っていってそこが何であるかみつけようとしたが、僕はいつものように何となく入っていけなかった。ちんぽの中ほどがじんじんしてきたのだろう。大湯は戻ってきて、女風呂だったことがわかった。俺等は逃げた。そこらにいた女の子達も逃げた。居酒屋風の階段をこえていくと貸しスキーがあったがストックはなく、またさっきの女ボスがいるところを通っていくとあった。そこのにいちゃんに料金のことをきくと専門的な語を使って答えた。大湯は大湯らしくわかったようなそぶりをしたが本当にわかっているようだった。中学生みたいな男女等がスキーで平地を競走しているビデオをみせられ、何をやっているかときかれ、大湯が近いことを答えた。もう一人係の女がいたが、そいつはにきびかそばかすのある顔だった。なかなかかわいかった。つかれた感じが風情があったが、彼女は微笑んだ。これらの前にホテルのロビーらしきところでやわボールの野球をした。日浦がいた。紫のウェアを着ていた』という夢をみた。これらのほかにもできごとはあったのらしいがよくわからない。目が覚めると汗でぐっしょりだった。下衣を脱いでパンツもぬいだら、亀頭があったとおぼしきあたりが一センチ四方特にぬれていた。尿道のあたりが集中的に汗をかいたとは思えないので、それくらいもらしたのだろう。びっくりしたがパンツをかえてまた寝た。明日は北大のガイダンスである。素晴らしい仲間達と仲良くなれることを祈る。