まだ練習7回だけ。。

東京マラソンに向けて記録。
12月13日から走り始めて、20日、21日、23日、27日、29日、4日とやっと7回走った段階。1回目、2回目では10分間が連続走行時間の限度って感じで、こりゃどうしたものかと思った。10分走って5分歩く、をずっと繰り返すしかないかなと思った。でも、3回目では15分走れるようになり、4回目では30分走れて、一瞬だけだけど走ってる途中で波にのった感じがあったのだった。そして5回目ではなんとか1時間走れるようになった。このちょっとずつアップしていく感じがうれしいんだなというのがわかった。先輩ランナーが貸してくれた本が『1時間走れればフルマラソンは完走できる』というものだったので、こりゃいけるんじゃねーの!と舞い上がったことは否定できない。天皇杯準決勝のバスツアーに申し込まずにその分で時計とシャツと五本指ソックスを買ってしまったのもそうしたちょっとしたランナー気分の現れだったように思う。そしたら、きた。腰痛野郎がやってきた。29日の午前に走った後で、なんかこう寝違えたような違和感があって、寝れば治るだろうと思ったけど起きたら悪化してて。歩けなくはないんだけど、いすに座って1分ぐらいすると腰が固まってしまって動けなくなる。正月休み期間でがーんと走るつもりだったけど、2回ウォーキングしただけで終了。起床時と風呂上がり時のストレッチを強化し、ぎっくりをやったときに整骨院で習ったもも上げ運動を思い出してやり始め、義母にもらったピップエレキバンを貼ってたら、ちょっと痛みが減ってきたので昨日走ってみたらいちおう走れたからうれしかったんだけど、走行能力はまたかなり退化した感じ。だましだましやるしかない。心臓部門と肺部門はなんとなく自信を持ってて、心配なのは脚部門だと思ってたけど、腰部門だった。目標は、18年前に一度だけ走ったというか歩いた河口湖マラソンの4時間48分。23歳のときの自分を越えることだ。あのときは、フロム・エーの編集者参加頁で、陸上部出身の先輩に新人のおれが挑戦するという企画だった。たった2頁なのに、カメラマンに一人ずつついてもらって4人で宿に一泊して、いま思うと贅沢だったなー。結局おれが勝ったけど、あんときは練習なんか全然しなくて、一回だけ練習時のカットを撮るために公園で走っただけだったっけ。。。その後はまったく走ることなんか興味がなかったけど、いま周りを見渡すとマジで走ってる中年が多いことに驚く。年賀状見ても感じる。若い人も走ってるんだろうけどおれの目には入ってきていないか入ってきていても認識はしていない。歳をとると走りたくなるのがデフォルトなんだと思う。んで、その次はきっと登山だろうなと思う。去年、おばあちゃんの葬式で帰ったときに親父がくれたシューズで走る予定。本当はもっとかっこいいのが欲しいという気持もあるし、サイズがぴったりすぎだと長距離走った後にむくむからいけないと本に書いてあるけど。。。日頃まったく無関係の生活をしているので、こういうときにちょっとでも関係を持っておきたいという気持がわいてきているのだろう。まあ、親父が知っても喜ぶとは思えないけどもなぁ。